死亡遊戯でヌンチャクを構えるブルース・リー
※写真は著作権許可を得た写真です。
ブルース・リーの「死亡遊戯」とは?
「死亡遊戯」それは、
ブルース・リーが、生前に企画し一部を撮影していた未完成映画のことをさす。
この映画の原題は、「死亡的遊戯」であったが、ゴロがよくないという理由からのちに「死亡遊戯」というタイトルに変更されている。ブルースは、1972年地点でこの「死亡的遊戯」に全力を注ぎ、自分の武術であるジークンドーを世界に発信するイメージ映画とする目論見があったと言われる。しかし、アメリカのワーナー映画から「燃えよドラゴン」の企画が持ち込まれ、「死亡的遊戯」は撮影を一時中断される事になる。
ブルースが中断した時には、約100分間の撮影済みフィルムがあったと言われているが
後に確認された所では発見されたフィルムは、95分ほどであった。その内OKテイクとしてブルースが使おうと考えていた部分は、約40分ほどでそのすべてが格闘シーンである。
1973年7月20日ブルース・リーの突然の死により、「死亡的遊戯」は未完成フィルムとなったのだが、そのブルースが撮影した格闘シーンのフィルムを活かすシナリオを考え「燃えよドラゴン」の監督を務めたロバート・クローズとサモ・ハン・キンポーを起用して、ほとんど無理矢理に「死亡遊戯」を完成させた。これは、映画会社が、ブルース・リー人気にあやかり、なんとか倉庫に埋もれたフィルムを世に出したいという苦肉の策であったが、多くのファンには大きなプレゼントとなった。
さらに後年、ロバート・クローズが使用しなかった部分も含めた原盤のフィルムを見直すという動きが生まれた。その結果、日本とアメリカでその権利が買い取られた。アメリカでは、ワーナーが「Bruce Lee: A Warrior's Journey」を製作。日本では、「Bruce Lee in G.O.D.死亡的遊戯」という作品が制作された。
ブルース・リーは、この映画で塔の最上階を目指し、上の階に行くほど強い敵が待ち構えているという設定を考えていた。そして、その最上階には、武道の秘伝書が保管されている説や秘伝書のありかを示した地図説などさまざまな説があるが、ブルース・リーの親友であったダン・イノサントの話では、「ブルース・リーは、会うたびにいろいろな事を話していたよ。宝物があるのはどうかと言ったこともあるし、それ以外のもの、また何も入っていないというのはどうかと言っていたこともある。結局当時は、どうするかというのは決定していなかった。どうするかというのは、つまるところブルースの頭の中にしかなかったのだろうと思うね」と語っている。
多くのファンの間では、この「死亡遊戯」をめぐる話はまだまだ尽きることがない。