最強格闘技図鑑 真伝 /Samurai Bushido Channel in Japan

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武田惣角 Takeda Sokaku

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武田惣角 Takeda Sokaku

武田惣角

武田惣角とは、大東流合気柔術の中興の祖と言われているが、実際には現在伝承されている大東流合気柔術の技術のほとんどが、武田惣角によるものではないかと言われている。それは、武田惣角が広める大東流合気柔術以前の歴史的な資料が乏しく現存していないためでもある。この武田惣角に関しても、本人が写真嫌いだったこともあり彼自身の写真となるとほとんど現存していない。ただ彼が、武道家として極めて優れた存在であったことや彼が指導した技術については現存する資料がある。

合気道の開祖として有名な植芝盛平は、この武田惣角の弟子でもあった。そのため合気道の技には、大東流合気柔術と近似する技が多いのも事実である。武田が、どのような技を指導していたかの資料となるものは、大阪の朝日新聞社での指導時に記録された写真の資料が存在している。

 

朝日新聞社で指導する

当時朝日新聞社では、右翼対策として最初は、植芝盛平を招き指導を受けていた。朝日新社では、当時その指導された内容を写真に撮り記録するということを行っていた。大阪の朝日新聞社に突然現れた武田惣角は、植芝の教えたものは、未熟な合気柔術であるから自分がほんとうの合気柔術を指導すると言った。今から考えればメチャクチャな話であるが、当時朝日新聞社の社員であった久琢磨は、武田の技を受け、その凄さに驚いたと後に語っている。さらに指導の厳しさにおいても植芝どころではなかったと言っている。久たちは、その武田の技の凄さを記録にとどめるため、武田の指導が終了して後道場生どおしで、技をかけあいその日習った技の形を写真に納めたのであった。これは

当時武田が、自分の指導風景などは絶対に写真に撮ることを許さなかったため苦肉の策であった。そのため当時の資料は、琢磨会に現在も保存されている。

 

伝承者佐川幸義

武田惣角の大東流合気柔術というのは、昔は一部の武道マニアの間では知られていたが多くの人にはまったくと言っていいほど知られていない武術であった。それは、大東流合気柔術を学ぶものは他の武道と並行して学ぶことを禁止されており、学びを受ける者は必ず英名録と呼ばれる名簿台帳に住所、指名などを記載する必要があった。さらに自分が、大東流合気柔術を学んでいることをむやみに他言すべからずという暗黙の掟があったことも大きい。さらに指導を受ける月謝も当時としては、決して安いものではななかったので、一般人には学ぶことが難しい武術であった。この大東流合気柔術が、一躍世間に知られるようになるのは、劇画「拳児」という作品のなかで神秘の武術として取り上げられたことが大きい。その時のモデルとなったのが、武田惣角の弟子であった佐川幸義という人物であった。佐川は、武田が指導したと言われる多くの技を再現できたし、さらに亡くなる直前まで新しい技を創造していたことでも知られる。