流浪空手(さすらいからて) 芦原英幸著 スポーツライフ社刊 1981年11月1日
芦原英幸の処女作にして原点
これは、芦原英幸の処女作である。1980年9月8日に極真会館を永久除名になっている。その後、はじめて書かれたのが、この本である。序文は、梶原一騎が書いている。
この書籍の題字は、芦原が自ら書いたものである。この著作を仕上げるには、何人か
の人物がかかわっているのだが、その原稿の一部を書き上げるのに協力したのが、現在滋賀支部の支部長を務める湯浅哲也師範である。湯浅師範は、極真会館芦原道場時代か
ら芦原に学んだ古参の弟子であり、そのサバキ技術は芦原そのものと言ってよいほど酷似している。その動きは、芦原のサバキを彷彿させる。この本のなかでは、芦原は自分の空手技術について多少触れているのだが、そこに「サバキ」という言葉は登場しない
なぜなら、まだこの当時には芦原の生み出した空手技について正式な名称は存在していなかったからにほかならない。芦原は、自分の創造した技を「芦原のスペシャルテクニック」あるいは、「芦原の裏技」というような呼び方をしていた。芦原が、自分の創造した技術に「サバキ」という名前をつけるのは、講談社から技術書を発売することが決定してからの話になる。ただし、この本のなかに書かれている芦原の技に対する考え方は、のちに技術書で述べられる内容に繋がる内容である。
5章からなるその内容は?
第1章 芦原空手の理念
第2章 空手の奥義を求めて
第3章 実戦空手流浪記
第4章 新たなる挑戦
第5章 闘いの技と心
芦原の闘いに対する考えや技術的な考えについては、第5章の闘いの技と心で語られている。そのなかで「一撃必殺は可能か?」と題して書かれた文がある。そこで芦原はこんな風に書いている。
私の道場では、一撃必殺という言葉はタブーになっている。人はそうそう簡単に死ぬものではなく、またそれが比喩的に用いられるというのであれば、それは空手に対する冒涜でしかあり得ない。空手を売り込むための、宣伝文句にすぎないのだ。動く人間を蹴り、叩くということは、煉瓦や瓦を重ねて割るのとは訳が違うのである。
1981年当時の芦原英幸のサイン入り書籍
当時、道場では極真会館芦原道場から芦原会館に移行した時であったため、道場では新しい芦原会館の道着を着ている道場生と極真会館芦原道場の道着を着ている者がいた。するとそのうちの一人の道着が、極真会館時代の道着であり、さらにその背中には本人がマジックで一撃必殺と書いていたものだから、それを芦原が激怒したという事件があった。それは、極真会館が「一撃必殺」という文句を一つのキャッチフレーズに使っていたことに対する一つのアンチテーゼでもあった。
「人間は、そんな簡単に死ぬもんじゃないけん。以後芦原会館では、一撃必殺という言葉は禁止にするけん」芦原は、全道場生にそう言い放った。それ以後、芦原会館では、「一撃必殺」という言葉を使うことが、道場内では禁止されたのであった。