「空手に燃え空手に生きる」 芦原英幸著 講談社刊 1986年6月3日発行
これは、芦原英幸本人によって書かれた2冊目の自伝書になる。これは、前著「流浪空手」から5年後に書かれた自伝になる。前著「流浪空手」は、芦原が極真空手を永久除名になってから書かれたこともあってまだ、まだ「サバキ」という名称は出てこない。しかし、この本が出版された時には、芦原の技術体系「サバキ」は、一応完成しており、本文中にサバキという表現が出てくる。この本が、発売される前年の1985年には、「実戦!芦原カラテ2発展編」(講談社刊)が発売され、アメリカでは「OFFICIAL KARATE」にアメリカではじめて芦原カラテが紹介された。極真空手をルーツに持つ芦原会館が、斬新で新しい空手を生み出したことが大きく取り上げられ評判となった。
芦原英幸が動く!
この本の出版のすぐあとには、芦原自身が監督した「実戦!芦原カラテ基本編」「実戦!芦原カラテ応用編」のビデオが、技術書と同じく講談社から発売される。この芦原のビデオは、芦原のアイデアにより少し変わった方法で発売されている。当時は、ビデオは、レコードショップやビデオショップの流通を通して販売されるのが普通だったのだが、この本は本の差し込みハガキを使った通信販売という方法で販売されたのだが、当時100本売れればヒットと言われた格闘技系のビデオにあって3万本以上がまたたくまに完売した。さらに追加で制作されたが販売に追いつかないという現象まで起こった。それほど大ヒットしたビデオだった。これより前に芦原カラテのビデオは、日商岩井主導で「スーパーテクニック芦原空手」という作品が作られているが、こちらは最初の編集がめちゃくちゃだったため、芦原自自身が最初から編集をすべてやりなおしたといういわく付きの作品であった。ただナレーターに若山弦蔵氏、ミュージックにゴダイゴのミッキー吉野を配した豪華な作品として送り出された。ただ、当初全10巻というシリーズで発売される予定だった計画は、途中で頓挫している。その事実に激怒した芦原ではあったが、その時の苦労は「実戦!芦原カラテ基本編」「実戦!芦原カラテ応用編」のビデオで生かされている。1986年は、芦原が生涯で最もマスコミに露出した時期であった。雑誌やテレビ、ラジオにも出演している。有名なところでは、石原裕次郎の石原プロが制作していた「西部警察」にゲスト出演している。この撮影の時期には、まだ亡くなる前の沖雅也にも撮影所で遭遇している。
芦原空手のエッセンスが書かれた自伝書
この「空手に燃え空手に生きる」には、副題として「ケンカ十段のサバキ人生」というタイトルがついている。芦原自身が、サバキという新しい空手技術の体系を世の中に広めていくという意気込みが感じられるタイトルになっている。
さて、その中身について見てみよう。
「空手に燃え空手に生きる」の内容紹介
はじめに
芦原空手とは何か?
芦原が目指す空手
芦原会館はなぜ生まれたか
東京ストリート・ファイター
”ワル”と空手の出会い
六年間のサラリーマン生活
大山道場の門を叩く
空手初心者から暴れん坊に
ケンカ買わせてもらいます
私は”いじめっ子”か?
女にけしかけられたケンカ
無期禁足処分
空手から廃品回収業への転身
都落ち
ケンカ十段 四国をさすらう
野村・八幡浜ゼロからのスタート
私の「夢」の終わり
生徒に見放された日々
八幡浜ジプシー空手
「岬が荒れとる」男?
私に挑んできた男たち
「ヒョウタンから駒」の結婚
からまれた話二話
学校の先生に間違えられた話
九州からの道場破りと中元憲義
松山進出
誰もができる空手を目指す
徐々に支部道場も増える
USA本部と二宮城光
USA政府から給料をもらっていた男
より多くの人に技術を伝えるために
自分の頭で考えろ
実戦に使える技術を求めて
芦原会館の「サバキ」
芦原空手「サバキの型」
「投げ」はすべての要素を含む
破壊力と安全
異なる世界の「プロ」と接して
若い力の可能性を信じて
合宿でのコミュニケーション
若手の進歩の早さに驚く
体力差をトレーニングではね返した男
渡米したボロボロのサンドバッグ
「まるでダメ」なんて子供はいない
やらなければならない時もある
いずれ芦原会館の大会を
全盛期の自分に勝てるか
館長とともに歩む■二宮城光
この自伝書が、発売される前には2冊目の技術書、さらに最初の技術書「実戦!芦原カラテ」の英語版「Fighting Karate」(1985)が発売され、この自伝書が発売されてしばらくして技術ビデオ2巻が発売されたのだ。この技術ビデオは、なぜかフランス語版が制作されている。これは、正式にライセンスを取って制作されたビデオで、当時フランスで空手が一大ブームになっていたことと関係がある。