Samurai Bushido Channel in Japan

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内田真弘とAバトン

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芦原會館 内田真弘氏

※写真の著作権は筆者にあります。

 

Aバトンとは何か?

芦原が、晩年力を注いだのがオリジナルの特殊警棒の開発であった。芦原は、その警棒を「Aバトン」と名づけた。このAバトンは、アメリカなどで警察官が使用していた「ポリスバトン」(またはTバトン)をモデルにして作られたものである。その源流をたどれば沖縄唐手の武器であるトンファー(またはトンファ)に端を発する。芦原は、当初このAバトンを警察、自衛隊さらに民間警備会社等で採用される事を目論んでいたが、そこには大きな壁が存在し実現には到っていない。ただし一部の警察や警備会社などでは、Aバトンを導入しているところもある。Aバトンは、基本的には相手を制圧するために使うことを一つの大きな目的としている。しかし芦原自身は、単なる制圧にとどまることなく、力がないひ弱な者でも大きな相手を倒すことができる武器としてAバトンを設計したのである。この製作には、職員の里健志(現心体育道)が大きく貢献した。現在Aバトンは、海外からの評価が高く、海外の警察、軍関係からも注目されている。Aバトンは、その使用法において芦原独自のアイデアが活かされている。現在、芦原會館滋賀支部の内田真弘氏は、芦原からAバトンを学び、現在は後輩たちにその技術を指導している。

 

Aバトンの名称

Aバトンは、ASHIHARA BATONの省略である。その名称、内部の細かな構造に関しては特許が申請されている。これは日本のみならず海外における特許も取得されている。また名称についてもアルファベットのAからZまでの名称をすべて特許申請されている。従って日本国内では、Aバトンのみならずアルファベットを頭につけた○○バトンという名称は、すべて使用不可となっている。これは、芦原が作ったAバトンを真似したBバトンやCバトンという名称が出てくることを考慮した結果である。そのため現在海外でもAバトンは、芦原の創造した武器であると認知されている。

 

芦原開発の武器

芦原は、さまざまな武器に精通していた。海外に出た時には、拳銃やライフルの試射なども行っていた。芦原が独自で開発していた武器としては、このAバトン以外にも「ハンドガード」「ヌンチャク」「手裏剣」「メリケンサック」「ナックル」などを独自に作っていた。またこれは、武器ではないが警察官用の拳銃の出し入れが従来のものより数倍便利な「拳銃ホルスター」を製作し、これは一部で採用されている。「Aバトン」と「ハンドガード」は、現在芦原会館の別会社エーテック株式会社のHP「特殊警棒のブランド ディフェンス」で現在も販売されている。HP上では、Aバトンは「L型バトン」の名称で販売されている。Aバトンの材質はスチール、収縮時長さ 165mm、伸縮時長さ 500mm、重量 510gとなっている。同じサイトでは、練習用木製バトンも販売されており、こちらは材質が白樫で、全長500mm 径28mmとなっている。「ハンドガード」は、プラスチック製で長さ140mm手のなかに握りこんで使用する。

 

Aバトンの原点

Aバトンの原点は、沖縄唐手のトンファーにある。沖縄唐手の武器術には、大きくわけて二つに分類することが可能である。一つは、棒やエクに代表される長い武具ともう一つは、サイ、トンファー、ヌンチャク、鎌などに代表される短い武具である。(エクというのは、ボートのオール状の武器をさす)芦原は、そうした様々な武器術を研究していた。芦原は、サイ、トンファー、ヌンチャク、鎌なども時間を見つけては研究していたと言われている。なかでもトンファーに注目し、独自の改良を加え技術的な進化を加えたのは、芦原なりに警察機構や日本の治安になんらかの貢献ができるのではないかという思いからであった。一般的に拳銃の使用に制限が多い日本では、警棒は警官の命を守る大切なものである。より丈夫で使いやすく、その使用方法を短期間で身につけることができるAバトンは、芦原のそうした思いの結晶と言えた。

 

その原点となるトンファーの起源は、「米の殻挽き」に用いる農耕用具の一つであったと言われている。それよりもっと昔ということになれば、中国における「拐」(かい)と呼ばれる武具から来たのだという説がある。ただし、「拐」は、沖縄のトンファーよりも大きく、持てば腕全体が隠れるほど大きな武具である。どちらかというと長い武具に分類されるものだった。大きなものは、ゆうに1メートルを超えており、この説を否定する者もいる。ただし、中国の「拐」が、なんらかの形で沖縄に伝わったという可能性も高い。沖縄で現存するトンファーの形状は、流派により様々なものがある。そのなかでも「浜比嘉のトンファー」や「屋良小のトンファー」などが現在でもよく知られている。さらにこのトンファーが、海外に伝わり改良されポリスバトン(Tバトン)が生まれるのである。

 

トンファーからAバトンへ

芦原が、Aバトンを思いつくのは極真会館を離れた後、海外視察をした時のことである芦原は、海外の警察官がポリスバトンを有効活用しているのに感銘を受ける。当時のポリスバトンは、サイズも大きくまた重量も重いものであった。もっと軽量で日本人にとって扱いやすいものであれば、日本の警察や民間の警備会社さらには自衛隊などでも採用されるのではないかと考えた。海外で使用されているポリスバトンやその他様々な武具や警棒などを研究して生まれたのが、芦原のバトン通称Aバトンである。Aバトンは、基本日本の警察官が相手をより簡単に制圧できる事を一つの大きな目標として開発された。しかし芦原自身は、単なる制圧にとどまることなく、力がないひ弱な者でも大きな相手を倒すことができる武器としてAバトンを設計したのである。

 

A-BATON (ASHIHARA BATONの秘密)

芦原は、その人生を空手一筋に捧げた人生であった。その最後の仕事が、このAバトンが警察やその他の警備や警護の仕事に関わる組織に導入される事だった。今回は、芦原がその晩年に命を削りながら後世のために残したAバトンの独創性とその技術について解説する。Aバトンは、現在芦原会館の別会社エーテック株式会社のHP「特殊警棒のブランド ディフェンス」で現在も販売されている。HP上では、Aバトンは「L型バトン」の名称で販売されている。Aバトンの材質はスチール、収縮時長さ 165mm、伸縮時長さ 500mm、重量 510gとなっている。同じサイトでは、練習用木製バトンも販売されており、こちらは材質が白樫で、全長500mm 径28mmとなっている。これは、当初芦原が開発した様式とは異なっているものの芦原の残したAバトンに限りなく近い製品と考えてよいだろう。芦原の考えた技術は、今までのポリスバトンなどでは、想像もつかないほど優れた使用法が考えられたし、その使い方は芦原のサバキ技術ともリンクしている。このブログでは、芦原英幸が開発したAバトンの技術についても随時公開していく予定である。